8足|地域コーディネーター

「キミの代わりは何人もいる」と言われる仕事をいつまで続けますか?

誰かと比較されながら働く、都市の労働

東京で働いていた時、

キミの代わりが(何人も)いる中で、
キミがこの会社に貢献できることは何か?

と昇給面接で役員に言われたことを、今でも思い出します。

当時ボクは、ある分野の専門職で、東京のとある駅近のビルの最上階のオフィスで働いていて、「残業代はすべて出す!」という神のような会社だったこともあり、それはそれはたくさんお給料を頂いていました。
先日、当時の通帳を見つけたのですが、金額を見ただけでうっとりするほどもらっていました。

だけど、役員からは「いつでも置き換え可能な人間」としか見られていなかったわけです。

ここまで、あけすけに言ってくる人もきっと珍しいとは思いますが、都市で働く人はほとんど誰でもそんな視線にさらされて働いているのではないでしょうか。

代わりがいない田舎

一方、田舎で働くようになって、そういった人と出くわすことはだいぶ減ったように思います。

田舎では、だいぶ減ったとはいえ「コネ」はまだまだ強力です。コネと言うとあまりイメージ良くないと思いますが、人と人のつながりを重視する姿勢と捉えれば「絆」と、どう違うのか?と問われたら、ボクは上手く答えられません。

細かな部分を見ていくと、わかりにくくなりますので、俯瞰しましょう。

田舎には都市と比べて人が少ないです。少ない人数で、どうにか地域社会をまわしていかないといけません。こんな社会で「代わりはいくらでもいるよ」なんて言ってみたら、何が起こるでしょうか?

代わりが見つからないのです。

絶対的な人数不足により、ボクが東京で言われたような言葉は田舎では言いたくても言えないのが実情なのでしょう。

人を使い捨てにする社会はボクらの望む姿でしょうか

もう一つ、別の視点から。

ボクたちの身の回りは「便利」を追うあまり、「使い捨て」のものがどんどん増えました。

使い捨てコップ、使い捨て容器、使い捨てコンタクトレンズと言った1回の使用で捨てるものから、数回使えば捨ててしまう洋服、電化製品も数多くあります。

今だけ必要。必要なくなったら要らない。

そんな言葉を、モノだけでなく人にも投げつける社会になっているように見えます。

もちろん、不要と思われる人材をいつまでも企業は抱えるべきとは言いません。しかし、人をも使い捨てにする社会を、ボクたちは望んでいるのでしょうか?

「代わりがいくらでもいる」と言われてしまう(言ってしまう)働き方には、各自が意識して終止符を打っていけば、きっと楽しい未来が開けていくとボクは思うのです。

ABOUT ME
くますけ
好きを仕事にして10年。自然ガイド、ハンモック作家、写真家など10足のわらじを履いて暮らしています。